再起

25日、追い出し試合。春シーズンの慶應義塾大戦(6/4)以来、約9ヶ月ぶりのアカクロジャージ姿で
後輩やファンと交流、終始笑顔を見せていたのが横山陽介選手。ワセダでの4年間を振り返ります。

「ケガも多かったのですけど、それ以上に人との出会いもあって、色んな人から色んな事を教えて
もらった…いい4年間だったと思います。」

当初はワセダ志望ではなかったものの高校(桐蔭学園)の先輩でもある小倉順平選手、浅見晋吾選手、
そして親交のあった藤田慶和選手からの誘いを受けてワセダへ。

「ワセダはいいチームだと言われていて、入ったら本当に良いチームでした。年下も、のびのびと
やれる環境を作ってもらったので、その点は1年生の時、助かりました。」

高校時代、花園の決勝戦で右膝前十字靭帯断裂の大怪我、ルーキーイヤーはリハビリ生活が長く、
アカクロデビューは12月の早明戦、いきなりの大舞台に横山選手に大きな衝撃を受けます。

「あの観客の前で試合が出来て…。校歌を最初歌った時はこれがワセダのジャージを着る意味かと
…ジャージを着たらこんな景色なのかと…忘れられないですね。」

下級生時代からアカクロの背番号10を背負ってグラウンドに立つものの、同時にこの4年間は度重なる
ケガとの戦いでもありました。

「一番辛かったのは今年の前十字ですかね…。昨年ケガばっかりで、今年は春から良い感じでケガも
なしでやってこれたのに…痛かったです。」

落ち込んでいた時に声をかけてきたのは高校からの後輩の2年生・齋藤直人選手。

「あいつ、適当に『大丈夫でしょっ』みたいに(笑)。高校の時から仲良くて、ワセダの話とかも
していて、それで(ワセダに)来てくれたし。大学入ってからも怪我してからも色々と話して、
あいつのおかげで頑張ろうと思えたし、力をもらったという感じですね。」

大学選手権の準決勝、決勝での復帰に照準を合わせてリハビリを進めながら、ジュニアチームの
遠征にも帯同、コーチ役として後輩達にアドバイスを送る場面も。

「出来る事は何だろう…と。小さいことでもやれることはやろうと思っていました。」

”4年生らしい姿勢ですね”…と言葉を返すと即座に首を振ります。

「僕、あまりそういうのは得意じゃないので(笑)。どちらかと言えば、自分が悔いのないように
しようという事で。チームに勝って欲しいし、勝ってくれたら悔いはないかなと。」

チームは大学選手権3回戦敗退で復帰は間に合わず…「一緒にやろうと言って誘ったのに(齋藤)直人と
やれなかったし、同級生ともやれなかったのが心残り」と話す横山選手、後輩達に思いを託します。

「最後まで自分を高めるという事を忘れないようにしてほしいですね。下のチームの子とかはもし
出られなくても自分を高める…本当に皆ずっと頑張ってくれているのですけど、更に高めようという
意志がなければ、どんどん帝京との差も広がっていくと思うので。」

追い出し試合終了後、予餞会に向けて次々とブレザー姿に着替える同級生を横目に一人、ウエイト
ルームで筋力トレーニングを行い、汗を流します。ケガの繰り返し、それでも折れずに自分を高め
続ける横山陽介選手、再起を懸けてトップリーグに挑戦します。【鳥越裕貴】



小中学時代の盟友、加藤広人主将(左)と肩を組む横山陽介選手。トップリーグに挑む二人。
「トップリーグで出来るというのは頂いたチャンス。チャンスを生かせるようにしっかり自分で
準備してもう一回…もう一回グラウンドに立ってプレーできるようにしっかり準備していきたい。」

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