愚直

5日、対抗戦・成蹊大戦。後半6分、FL幸重天選手に替わって投入されたのが4年目にして
対抗戦デビューとなった埜田啓太選手、自らのプレーを振り返ります。

「ポジショニングが悪くてアタックでは活躍できなかったです。ディフェンスは良いところと
悪いところがあって、自分が狙えたところでタックルに入れた事もありましたし、チームの
ルールを守れなくて抜かれたところもあったので、ビデオを見て仲間とコミュニケーション
取って修正したいと思います。」

ワセダクラブから早稲田実業、幼い頃からアカクロへの強い憧れを持ち続けていた埜田選手に
とって対抗戦の舞台は特別なモノ。試合前、仲間と肩を組んでの校歌斉唱に胸が震えます。

「感動しましたね。試合入る前はそんなに緊張していなかったのですけど、並んで校歌を
歌う時になったら感無量になって、ちょっと涙が出てきました。ワセクラ(ワセダクラブ)でやって
いて、小さい頃からアカクロを見てきて、自分がああいうところに立ちたいと思ってやって
きたので…。」

憧れの舞台に辿りつくまでのここまでの道程は決して平坦なものではありませんでした。
早稲田実業からSOとして入学、「やってやろうという気持ちはあったのですけど…」突きつけられた
現実は、司令塔として君臨する小倉順平選手、同期の横山陽介選手ら能力の高い選手たちとの
圧倒的なレベルの差。3年生まではジュニアチーム、コルツチームから抜け出せず、もがき苦しむ
日々を送ります。

「2年の時に怪我して秋に復帰したのですけど、そこで全然通用しなくて…。3年も全然通用
しなくてどうしようか…と。あまり人には言っていないのですけど自分の中では悩んでました。」

転機は最終学年を迎えたこの春、ジュニアチームを指導する銘苅信吾コーチからFLへの転向を
打診されます。小学生時代からSO一本、ラストイヤーを前にした突然のコンバート話に戸惑いを
感じながらも、すぐに気持ちを切り替えます。

「僕自身、4年生で時間がないですし、SOで勝負しても上のチームに行けないなと思っていた
ところもあったので、銘苅さんに(FLを)やってみないかと言われた時に悩んだのですけど、やるしか
ない…と転向を決めました。銘苅さんにも上のチームで出たいならFLで勝負した方が良いと
言われましたし、自分自身に少しでも上のチームで出たい、アカクロを着たいという思いがあった
のでそこは勝負しようと思いました。」

体は小さいながらも勤勉なプレースタイルがFLで認められるようになり、SO時代には一度もなかった
Bチームでのプレー機会が増え始め、そしてこの日の対抗戦デビューに繋がります。加藤広人主将
も同期の存在について次のように話します。

「タックル、ブレイクダウンと、人が嫌がるじゃないですけど、痛い仕事、キツい仕事を黙々とこなせる
仕事人。1年生の頃からずっと下のチームで積み上げてきた苦労人ですし、そういう選手が一緒に
試合に出れているというのは嬉しいですね。本人はすごい緊張していましたけど(笑)。」
(LO加藤広人主将)

下のチームで頑張り続ける部員にとっても刺激を与えるこの日の対抗戦デビュー、埜田選手は言葉
に力を込めます。

「やるべきことをしっかりやっていけば、何かしら見てくれている部分が絶対あると思います。上の
チームは、やるべきことを毎日毎日継続してやっていくことでちょっとずつ見えてくるもの、僕も出来て
いるか分からないですけど後輩達にも伝えたい部分です。」

更に続けます。

「僕自身、派手なプレーは出来ないので言われたことをしっかり忠実にやるというのと、チームルール
に則ってやることしかできないです。そこをコツコツ愚直にやり続ける…一つ一つのタックル、一つ一つの
ボールキャリアでちょっとでも前に出て、ちょっとでも激しいプレーをして、チームの為になれるように。」

目指すは早慶戦、早明戦のメンバー入り、ここまでの歩みと同じくコツコツとまた一段ずつ積み上げて
いきます。【鳥越裕貴】



後半、タッチライン際でステップを切るFL埜田啓太選手。初めてのメンバー入りに
「知っている方みんなに声をかけて頂いて嬉しいというか…。こうやってメンバーに入るだけでも見ていて
くれる人は居るのだと改めて知りましたし、感謝してやっていきたいです。ワセクラでコーチしてもらって
いた細川さん(2006年度東条組)が父親に連絡を下さったり、僕が1年生の時4年生だった三村さん
(2014年度大峯組)からもメッセージが来て見てくれているのだなと…有難いですね。」

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